分度を立てる

皆様、こんにちは。鎌倉投信の鎌田恭幸です。
いつも鎌倉投信のメルマガを読んでいただきありがとうございます。
先週のメルマガで松下幸之助氏の「国家100年の計」についてふれました。

その一例として、松下氏は、41年前の昭和54年(1979年)、「21世紀の末、120年先には日本を無税国家にする」という無税国家論を提唱しました。
「国家予算の単年度制を廃止し、予算を毎年使いきるのではなく経営努力により何パーセントかの余剰を生み、積み立てていく」国家経営の考え方です。
これは、「国家の繁栄は『分度を立てる』ことにある」、とする二宮尊徳氏の「報徳の教え」に通じると思っています。
「報徳の教え」とは、身分相応に収支の予算を立て(分度)、よく働き(勤労)収入を増やし、倹約する。そして自分たちの将来のために貯蓄をして、貧しい人がいれば譲る(推譲)ことをいいます。
つまり「よく働いて世の中のために尽くすこと」です。

分度を立てるとは、
「天下には天下の、一国には一国の、一家には一家の分限がある。これは自然の天分である。天分に支出の度を定めることを分度という。しかし、天分には限りがあるが、人の欲望には限りがない。国や家がその欲望に流されて分度を失えば衰貧に陥り、分度を守れば繁栄する。借財や増税をして国用を補うのを通弊とすることは、種を蒔かずに実を刈り取ろうとするようなものである。分度を守り、種を蒔き、余財が生ずるならば、これによって国を興し、民を安んずることができる」
(「報徳全書」報徳博物館から意訳)といった考え方です。

国や企業の経営にも通じる分度とは、
「分限」すなわち財源・経営資源に限りがあるからこそ知恵と工夫が生まれ、
「種を蒔く」すなわち社会が求める事業、商品やサービスを創造し続けることで余財がふえ、
何よりも後世・後継に借財を残さないことへの責任と自覚、
突き詰めれば依存ではない主体性と自立心の喚起にこそ、その本質はあると感じます。

日本は、「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない」と、国債発行を原則禁止することを財政法で定めています。
しかし、1965年度の補正予算で赤字国債の発行を1年限りで認める特例法が制定されて以降、半世紀以上にわたり、ほぼ毎年度赤字国債を発行し、借財の山を積みあげてきました。

松下氏は、無税国家論を唱える際、
「長期的展望を持ち、決意する」こと、
「決意したならば、それに伴うところの知恵才覚というものは、無尽に私は生まれる」
と述べていますが、これも「分度」の本質を言い換えた言葉ではないでしょうか。
当時絵空事と揶揄されたという「無税国家論」ですが、その根底にあると思われる「分度」の思想は、国家を含めた経営の根幹です。
人は、全てに「分限」があることを決して忘れてはならないと思うのです。

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